ガラス浮き玉について〜伝統を守るため〜

背景

明治30年頃

小樽にガラス工場が多く設立いたしました。

その一つが浅原硝子製造所です。

初代・浅原久吉に当時の水産試験場から当時は木で製造されていた 漁業用浮きを安く、軽く、加工しやすく、海の水の色に溶け込むような透明感のあるガラスで製造できないかという依頼がありました。

明治~大正時代、ニシン漁をする際に縄を浮かす浮力体として使われた浮き玉。

浅原久吉は兄弟、親戚を集めて、ガラスを作る技法を伝授し道内各地に浅原硝子の工場(小樽・室蘭・釧路・旭川・樺太)を広げていきました。

漁業用浮き玉として

昭和
初期

昭和初期の北洋漁業の隆盛に一役かったのがこのガラスの浮き玉であり、小樽の産業を発展させたのも、吹きガラスの技法を小樽に根付かせたのも、実はこの「浮き玉」なくしては語ることができないものであります。

浮き玉は昭和22年にはには1056トンの製造量があったといわれておりますが、実際はそれ以上だったと憶測できます。

北洋漁業が縮小しニシン漁が衰退いたしますと、浮き玉の需要はがっくりと落ち、そして、プラスティック製の浮き玉(オレンジ色のブイ)に変わって行きました。

全国各地にあった浮き玉を製造する工場は減少し、現在は国内唯一、浅原硝子製造所だけになりました。

小樽ガラスの
元祖ともいえる
浅原硝子

浮き玉のへそ

原材料は再生原料(カレット)であり、透明感のある海に溶け込む色を出すために、色や素材を選別して、洗浄し、約1300℃の溶解炉に投入されます。

ガラスの吹き上げ穴をふさぐために付けられる「へそ」がかわいらしく、ビーチコーミングで(浜辺でシーグラス等を拾うことです)この部分をを貴重品として拾うこともあります。
拾ったらへその裏側に文字が入っているか確かめてみましょう。

2008年から浅原硝子製造所で作成された浮き玉には「浅」という文字が入っております。
浅原硝子製造所これから未来の浜辺で浅原の浮き玉が打ち上げられることがあるかもしれません。

大きさ

用途によって様々

直径、一尺五寸(45.5cm)の大型から二寸(6cm)の小さいものまで各サイズあり、 網や漁の種類により使い分けられた。
  
< 一尺二寸玉>
深海、浅海用で主にサケ、マスの定置網漁、ホタテの養殖に使用
  
< 五寸玉>
深海、浅海用でヒラメ底引き網漁やマグロのはえ縄漁に使用
  
< 二寸五分>
カレイ、ニシン、シャコなどの刺し網漁に使用

浮き玉製造の様子

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