
浮き玉
人気の定番商品!インテリア・ディスプレイなどにおすすめ
札幌から車で約1時間です。
(小樽ICから約10分。)
●国道5号線 奥沢十字街
(右手に北洋銀行奥沢支店、 左手に北陸銀行が見えます)
交差点を左折
赤井川方面に直進し
天神交差点を80mほど直進した左側にあります。
●中央バス(時刻表)で、JR南小樽または小樽駅前から
「16-奥沢線天神町」行き
「天満宮下」下車 (乗車時間 約7分~約12分)
徒歩数分です。
創業明治36年以降の歴史をご紹介します。
初代浅原久吉は福岡県で硝子製造業を営む浅原次郎兵衛の次男として生まれ、10歳のころ母方の親せきでガラス工場を営む藤崎家に丁稚奉公に出た。 その後先輩職人に島本由蔵氏の内弟子として修業を重ね、島本氏について全国各地へ遍路修行をした。燻陶を受けることになる。 |
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明治34年 (1901年) |
島本氏は函館で硝子工場を開業し、久吉はさらに北上し小樽に向かいその生涯の新天地を定めることとなった。 | |
明治36年 (1903年) |
初代、浅原久吉が小樽市富岡町に硝子製造工場を操業。ランプや投薬瓶などガラス製の生活雑器の製造を始める。 | ![]() |
明治43年 (1910年) |
水産試験場より依頼を受け漁業用の浮玉製造技法を考案。量産体制を作り上げる。 ニシン漁や北洋漁業など道内の漁業の発展に大きく貢献。 また、物のない時代だったのでガラス製の生活雑器の需要が多く生産体制を拡大していく時に、実家である福岡の硝子工場の長男真次郎が他界し、初代久吉は兄弟を小樽に呼び寄せ硝子製造技術を伝授し道内各地に独立開業させた。 |
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昭和9年 (1934年) |
小樽市富岡から緑町、入船町を経て、現在の天神へ移転。 | |
昭和25年 (1950年) |
初代久吉のもとで吹き硝子製造の修行を重ねた久吉の次男、寅男が二代目に就任二代目久吉を襲名する。(長男、久一は1歳で他界したため寅男が家業を継承することになる) | ![]() |
昭和42年 (1967年) |
二代目久吉の長男陽治が就任。昭和30年頃からのプラスチック製品の普及により生活必需品としての硝子生活雑器の需要が減っていく中で硝子浮き玉製造を専業とする。 | ![]() |
昭和57年 (1982年) |
北海道硝子工業へ社名変更 プラスチック製浮玉の台頭により、徐々に規模を縮小。 |
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平成17年 (2005年) |
三代目の体調不良により工場操業が一時休止。 | |
平成19年 (2007年)9月 |
三代目の他界をきっかけに、ガラスから離れていた長男 宰一郎が浅原硝子の火を絶やしたくないという思いで家業継承を決意し、帰郷する。 四代目 浅原宰一郎 就任。 現在、わずかではあるが漁業用やインテリア向けの浮き玉を製造・販売する傍ら、工芸品の制作や吹きガラス体験などを通じ、昔ながらの手作りによる吹き硝子製造の魅力を伝える新たなチャレンジをしている |
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Copyright © 浅原硝子製造所